2021/3/2、外は雨降りです。ぼくの曲だと「嫌い/じゃない/世界」というのに窓の外の雨という描写が出てくるんですが、こんな風に自分が屋根の下という安全圏にいる限り、雨降りというのは嫌いじゃない。
気分がすぐれず、身体も重い午後にベッドで目を閉じている時、さーっと静かな雨の雰囲気を感じたりするとなんだか「取り残されているのは自分だけじゃないのだ」という気がして慰められます。これがびゅーびゅーぱらぱら鳴り響く暴風雨だとまるで脅されているような趣きだけど、カセットテープのノイズみたいな静かな雨はどことなく「ええんやで」感があって、安心する。胎内回帰みたいな感じもある。でも胎内ってあれで実は結構にぎやからしいですけどね。
打って変わって自分が屋外にいる時の雨というのは、程度の差こそあれやはり歓迎しかねる。子供の頃はそれこそ「ぴちぴちチャプチャプ」なんて言って、どんなに濡れたとしても楽しめたものだけど、あれだって後に保護者が服を脱がせてくれ、あたたかい風呂に入れてくれ、洗濯ものの心配などする由もないわけだから、そんな悠長な事を言えたのである。大人にとって濡れる事はやはり面倒でしかない。
ましてや雨水が靴の中に入り込んだりしたらもう最悪である。靴下を不穏な湿り気がじわじわ侵食していくのがわかる。これまで足を優しく包み込んでいた靴下は、ほどなく子泣き爺みたいにまとわり、へばりつく不快な足枷になる。歩を進める度にだるい重たさをともなった「ごちょっ」という感触が身体を通り抜け、足をあげると今度は足の裏の下の空間にここぞとばかり雨水が移りこみ(ちなみにその時は「ぞしゅっ」ていう感じ)次回の「ごちょっ」への準備をする。
「ごちょっぞしゅっごちょっぞしゅっ…」
これが帰宅するまで延々と続くと思うと絶望的な気持ちになるけど、自分がそんな状況に置かれていることは、傍目からは少しもわからない。なんだったら連れ衆と笑いながら会話していたりする。孤独だ。孤独な戦いだ。
雨に適しているはずの長靴(最近履く機会はないですが)も、こういう場合はその断水性が裏目に出たりする。靴下にしろ長靴にしろ、頼りになる仲間ほど敵に回すと厄介なのかもしれない。などと納得したところで「ごちょっ」が解決するわけではないので、孤独な戦いは今日も続くのである。