先日本屋さんで何気なく村上春樹の棚に行き当たり、見かけないエッセイ集を買った。最近は電子書籍(嵩張らず、なくならず最高です)ばかり贔屓にしていますが、リアル本屋さんというのはこう言う出会いがあって本当にいい。フィジカルな本というのはもはや随分贅沢に感じる。
「THE SCRAP -懐かしの一九八〇年代」というタイトルで、村上春樹のエッセイは大体網羅しているつもりの僕も初見の本だった。まえがきによると、あの「スポーツ・グラフィック・ナンバー」に1982年から4年間連載されたものらしく「エスクァイヤ」や「ローリングストーン」といったアメリカの雑誌の記事を村上春樹が(もちろん村上春樹的視点で)紹介するという内容。
そもそもそれだけの有名雑誌に載っている記事と言うだけでも興味深い話だろうに、それを村上春樹がキュレートし、ある文は和訳し、「やれやれ」するわけなので面白くないわけがない。だいたい記事というもの自体が、ある事象を筆者が客観的視点で文章化し、さらに客観的な批評眼を持つ編集者のフィルターを通った完成品である。そこにさらに日本の新進気鋭(当時)の作家がもう一枚面白みのある客観フィルターを通すので、蒸留に蒸留を重ねた粋(すい)みたいな趣がある。
この調子で「その村上春樹のエッセイを更にキュレートし、評論したエッセイ。を更に客観視したエッセイ。を更に…」と蒸留を続けていくと最後には「なんかわからんけど生きてるって素晴らしい(またはしょうもない)ものよね」みたいな文章に落ち着きそうで、そう考えると日々の些事も気にならず、心は今日もいい天気である。
その理論でいくとこのブログも面白いものになっていないと計算が合わないんですが、どうでしょうね。