今日もサ道の話。
何巻かは忘れたけど、話の中でサウナがなぜ「ととのう」「いやされる」のかという事について
「思考」の世界から「感覚」の世界に変わるから
というような説明がされていた。
目の前にないものについて考える「思考」から、熱い・冷たい・気持ち良いなど今この瞬間にフォーカスする「感覚」の世界へ。
ってこれ、いわゆるマインドフルネスそのものですやん!
まるっきり瞑想ですがな…と驚いたのだけれど、なるほど。普段実際に瞑想をしようと、思考を鎮め感覚の世界に移行しようとしても
「昨日のあれ失敗やったかもなー。あれ美味しかったなあ。…はっ!心がまたさまよっとる!」
となりがちなのだけど(なにせ修行が足りてないもので)、確かに
サウナであっつー!
水風呂でつめたー!!
というある種の極限状態に体を持っていく事で、自然と感覚の世界に集中できる(というかせざるを得ない)というわけですな。
思えば、熱いも冷たいも行き過ぎると命に危険があるわけで、空腹もそうだけど
我々は命に危険を感じて初めて真剣に外界を探ろうと(今現在に集中しようと)
するのかもしれないですね。
と思えば、ブッダが否定した(否定はしてないのか)苦行にもやはり一定の意味はあり、最終的に熱と冷の中庸である外気浴で「ととのったー!」というのは、もうほとんど悟りの境地である。というか悟っている。
なんか色々応用がきくぜサウナ。早く行きたい!(まだ行ってない)