僕がOfficial髭男dismに夢中になった理由。Pretender編その1

2019年紅白歌合戦出場を果たしたOfficial髭男dism。そこで初めて彼らの存在を知った人もまだまだ多いはず。

僕もまだまだ彼らを知って日が浅いんだけど、この数ヶ月(特にアルバムTravelerが出てから)えらい勢いではまってしまい、ファンクラブは入るわ、CD買ってクリアファイルもらって喜ぶわ、今では部屋の床暖房さえOfficial床暖dismと呼んでしまうほどである。
これほどまでに好きになったバンドというのはX JAPAN以来の事で、そう思うと約30年ぶりだ。40過ぎのおじさん(言いたくないけど)をこれほどに狂わせるヒゲダンの魅力とは何なのか、自分がどんな段階を踏んだのか思い返してみたい。

きっかけはやはりPretender  

それまでもApple Musicなどで、ノーダウトStand By Youなどは耳にしていた。正直ノーダウトの時は「ボーカルがスガシカオさんの新バンドかな?」とか、Stand By Youの時は「今風だなー。声高いなあ!」くらいに思って、聴き流してしまっていた。

夏に自分がカバー曲特集ライブをやった時にリクエストを頂いたので、勉強と思ってPretenderを聴いてみた。Aメロ、Bメロと聴き進み、ついにサビでその瞬間は訪れた。

7,8小節目のフレーズ    

いたーいやーいやーでもー、あまーいなーい"やー"いやー

の太字のやーを聴いた時に   

「待って待ってこれはすごいかも」  

と強い衝撃を受けたのである。(動画1:49くらい ↓ここです)

そもそもメロディーが綺麗で構成がよく、7,8小節目に伸びやかな下降フレーズを繰り返すだけでも、言葉の母音との相性のよさもあいまって気持ちいいのに、太字のやーの音はダイアトニック(普通のドレミファソラシドの音律)よりも半音、ブルーノート的にずり下がっていて、下降フレーズの最後の方というちょっとおざなりになりがちなところでそんなフックを仕込んでくる仕事の細やかさにやられてしまったのだ。

よくよく聴いてみれば歌詞もいい。
決して叶わぬ恋を歌っているみたいだから、サビの最後で

「たったひとつ、確かな事があるとするのならば…」

と来た時に、王道に「僕が君を好きな事だ」とか「君を愛してる」とか来るのかなと思ってしまったんだけど

「君は綺麗だ」

と来た! 
これは美しい。
短い言葉だからこそ逆に溢れる想いが伝わってくる。まるで「太陽は昇る」みたいに普遍的な事実として「君は綺麗だ」と言ってしまう所に、自分がその事実に圧倒されているさまが伝わる。そしてその綺麗なものを壊さないでいたいという、誠実な気持ちも伝わってくる。
ここで気づいたんだけど、このPretenderの歌詞は、一貫して主人公側の主観だけで描かれていて、決して「君」の気持ちを勝手に類推したり、何かを求めたりする事がない。

だからこそ「君にとって僕は何?」という詰問ではなくという

「僕にとって君は何?」

という自問自答になるのであり、ラストは「君は綺麗だ」という、絶妙な距離感の言葉になる。
そして本当のラストにはもうひとつ主観の濃度を高めて
「とても綺麗だ」
と達観したように歌い上げる。そして印象的なイントロのギターアルペジオが静かにピアノに変わる。
ここで主人公は一曲をかけて逡巡した結果、切なくも何らかの答えに行き着いたんだなと感じさせる。気持ちが浄化されたように感じる。フレーズは同じだけど、曲が始まった時とは明らかに違う地平に主人公は立っている。
その物語性を歌詞ではなく音楽で表現しているのは本当にすごいと思う。
ひとつの言い方をすれば

Pretenderとはイントロのギターアルペジオがアウトロのピアノフレーズに移り変わるまでを描いた物語

という事ができる。と思う。すごい。 あ〜もうひとつ書きたい大事な事があるんだけど、長いので次回に譲ります。その2につづく。